出版時に足りなかった点、今後さらに掘り下げたい点など。
以下の内容は、本書の改訂版もしくは続編を執筆する際に盛り込みたいと考えています。
本項は内容がかなり増えたため、近い将来にblogなどに移行すると思います。
本書の解説にも書いている通り、ミハマシックスRについては現存が確定している(2020年6月現在、茂木のカメラ博物館に1台、Yahoo!オークションに出品されたものが1台)ため、実物を触り、スペックを確認したい。
執筆後に入手した機種へ移動しました
※以下はあくまで推測です。情報の引用元としないことをおすすめします。
萩谷剛 『ズノーカメラ誕生―戦後国産カメラ10物語 (クラシックカメラ選書13)』に収録された、大同精工・高嶺光学(ミネシックス)についての文章には、同社を立ち上げた井沢広治が、池袋にあったというミハマと同じ仕入元からレンズ等のパーツを仕入れた、と記述されています。ゆくゆくは、いわゆる四畳半メーカーの仕入元となった、こうした問屋がどういったものだったのか、について調べたいと考えています。
2020年6月現在、推測していることとしては……
ミハマライムシックスと外観が酷似した機種として、ドリスカメラの「ドリスIIIA」という機種があります(すぎやま本のp79に掲載あり)。
このドリスカメラというメーカーは、戦前に本鳥光学(もとどりこうがく)として池袋に設立、その後、東京精機、ドリスカメラ、コンドルカメラと名称が変わっていきます。
※本鳥光学についてはcamera-wikiに解説あり。http://camera-wiki.org/wiki/Condor_Camera
さて、このドリスカメラを軸に考えると、つながっていくことがります。
ドリスカメラが出した機種のひとつに、ドリスフレックスというギア連動式の二眼レフがあります。以下のページに機影が掲載されています。
http://blog.kitamura.jp/12/8396/2017/01/9864933.html
このドリスフレックスは、クリスター光機のクリスタ―フレックスとおそらく同一機種です。クリスターフレックスは筆者が私物を持っています。
↑クリスターフレックス
クリスターフレックスには、とある特徴的な部分があります。それは、レンズ銘板の書体です。画像のとおり、独特なフォントです。
このフォント、じつは、大同精工のダイドウシックスと同じなのです。ということは、レンズのパーツの仕入元が同じであることが予想できます。たかがフォントではありますが、かなり特徴的なので重要な証拠だと思います。
↑ダイドウシックスIのレンズ銘板。DAIDOのフォントが独特
↑クリスタ―フレックスのレンズ。MAGNI C Anastigmatの「MAGNI」のフォントが、上記のDAIDOと同一
このように、ミハマ、大同精工、ドリス(本鳥光学)、クリスターには、どこかつながっている部分が見え隠れしているように思えます。
この一連のメーカーで重要なのは、本鳥光学ではないかと推測しています。理由は単純で、戦前に遡るメーカーであるためです。戦後、カメラ製造に新規参入するメーカーに部品を供給するには、もともとその技術や経験がなければなりません。いわゆる四畳半メーカーが隆盛する時期より前に光学部品や精密機器に関わっていたことは大きなアドバンテージだったといえるでしょう。
また、戦前に池袋に地縁があったということも注目点です。これについては戦後はよそに移転してしまったようなのですが。
本鳥光学の住所は豊島区池袋1-606だったそうです(※camerawikiの記述)。戦後の住居表示により現在この住所はないので、図書館で調べて訪れてみたいと思っています。
付け加えるならば、camera-wikiではドリスIIIAのネーム違いとしてクリスタ―IIIAという機種も紹介されていますが、どうも見た目は異なります。おそらく内部機構は共通なのでしょう。参考↓
https://collectiblend.com/Cameras/Crystar-Optical/Crystar-IIIa.html
ミハマシックスとダイドウシックスはほぼ同型機ですが、ダイカストの形状は異なります(ミハマは八角形、ダイドウは曲線ライン)。しかしこれは、供給元がいくつかのバリエーションを販売していたのではないかと想像しています。ドリスIIIAとクリスタ―IIIAの差も、それで説明がつくのではないでしょうか(これは想像、仮説です)。
2020/09/22
上記の件なのですが、ちょっと安易に想像力を働かせすぎた感があると思っています。実際にそのような問屋があったことは事実と思われますが、単に「レンズが同一であるから関連がある」と決めつけるのは勇み足でした。
ミハマシックス関連のYahoo!オークションやebayへの出品履歴から、レンズやシリアル番号を調べてみたところ、「Seriter Anastigmat」「K.S.K OPTON HOCTER」「C.BRIGHT Anastigmat」など初期のミハマシックスI型は搭載されたレンズが統一されておらず、単にそのとき手に入ったものを取り付けていた可能性があります。
↑ミハマシックスII(左)とダイドウシックスI(右)
以上、いわゆる四畳半メーカーとそのパーツ供給元について、今後少しずつ調べていきたいと思います。
本書では大同精工のDaido Sixをダイドーシックスではなく「ダイドウシックス」と書いています。
これは、カメラコレクターズニュースのどれかの号で、当時、ダイドーではなくダイドウという製品名であったことが明確に示されていたためです。
しかし恥ずかしながら、このことについては当該号のコピーを忘れてしまい、出典を示すことができませんでした。もし麹町のカメラ博物館に行く機会があれば、再確認したいと思っています。
同じ理由で大同精工のSisleyもシスレーではなく「シスレイ」かもしれないのですが、こちらは、カメラコレクターズニュースに記述があったか記憶していなかったので、とりあえず「シスレー」としました。判明しましたら訂正します。
書籍でも触れた箇所がありますが、同一機種でもバリエーションが存在します。もし次回作があれば、ミハマシックスIのレンズ違い、ミハマシックスIIIAのバリエーション(少なくとも初期・中期・後期がある)などについても触れたいです。
J-PlatPatでミハマ関連の特許や実用新案がないか調べていたところ、以下のものを見つけました。
上記、実公昭29-007051は二眼レフの裏蓋ロック機構で、金属プレスにより簡便に製造できることが特色のようです。ただ、この機構は現存するミハマフレックスには用いられていません。
この実用新案は1952年に出願されており、もしかすると三浜精工は二眼レフカメラを本腰を入れて作るつもりだったのかもしれません。実際にミハマフレックスが広告に掲載されたのは1954年ですが、その時期はすでに二眼レフのメーカーが淘汰されている時期で、遅すぎたがゆえに、結局はOEMにより販売した可能性が想像できます。(もしくは現存するミハマフレックス自体、広告掲載以前のものである可能性もありますが)どちらにせよ、想像でしかないです。
特許についてはまだカメラ関係のものを掘り終わっていないので、暇を見てJ-PlatPatを検索していこうと思います。
ミハマシックスの販売元は、途中1953~1954年頃に三浜精工から駿河精機に変わっています。このことについては理由が判然としなかったのですが、これも推測ですが、もしかすると外部資本が入った可能性があるのでは、と思っています。
推測の理由は、同時期に販売されていたミハマシックスIIIAの仕上げが一気に良くなるためです。具体的にはボディ外装のプレスやメッキ、刻印の質が向上。またレンズのシリアルナンバーも、10000番から振り直されています。この時期に工作機械を入れ替えたのではないでしょうか。投資を行うにあたって、会社組織に変化があったというのは、推測でしかありませんが、ありうる話だと思います。